新潟地酒の関所「酒の新茶屋」女将がコツコツ書いてる「新茶屋の歴史」と「新潟の地酒」の「よもやま話」

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酒の新茶屋よもやま話

十返舎一九の道中記「金草鞋(カネノワラジ)」と「新茶屋」

木札「鯨波を打ちすきて一里ほど行けば青海川という所あり。 立場にて茶屋あり。(※立場とは、江戸時代街道で人夫などが休憩するところ)
いづれも海へつき出したるごときの家にて、見晴らしよし。乾(いぬい)のかたに、佐渡の島みゆる。それより米山峠にさしかかる。」
  江戸時代幕末の嘉永元年(1848)京都では新撰組が闊歩し、嘉永6年には浦賀にペリーが黒船来航して世の中テンヤワンヤの時代、我が家の二代目「片山正蔵」が現在の地に家を新築。
  当時あった茶屋を新しくしたので「新茶屋」と名乗ったのでは?というのは、私の推測ですが・・・(^^;
昭和50年代初め、築130年経ったその家を解体した時、家の最頂部にその名を記した木札が吊るしてありました。
  冒頭の一文は「東海道中膝栗毛」で有名な江戸時代の超人気旅行ライター「十返舎一九」が書いた北国街道道中記「金草鞋(カネノワラジ)」の中にある青海川の情景です。

平成19年7月16日午前10時13分。M6.8中越沖地震発生

中越沖地震1「新茶屋」160年以上の歴史の中でまさかの大事件、天地を揺るがす大震災に遭遇。
 日本海から海抜50m以上の崖の上にある店舗兼住宅でしたが、その崖の一部が崩れ、その土砂が海岸を走る信越本線の線路を埋め隣家は全壊、我が家も大規模半壊。
 当日のうちに避難指示発令。避難指示はそれから1年間に及びました。
中越沖地震2 それから2年近く「新茶屋」は、たくさんの方々の励ましと応援で、ようやく平成21年7月5日新店舗をオープンすることになりました。
 これから少しづつですが、私が伝え聞いた新茶屋の歴史(?)や「酒の新茶屋(新茶屋酒店)」のよもやま話等々・・・思いつくまま、気の向くまま書かせていただきたいと思います。

その時、「光」はつながっていた!

震災後数時間。家の中が気になる。
震災発生と同時に座卓の下にもぐりこみ、揺れのその恐怖の時間を過ごした後は無我夢中で裸足で戸外へ脱出。
余震は怖いがとにかく家の中の被害状況が知りたい。
大人4人がかりでようやく持ち上がるコピー機が戸を突き破って廊下に倒れている。もちろんテレビも大きなサイコロのように床に転がっている。
中越地震の折には翌日朝まで停電していたが・・・ダメだと思いながら電気のスイッチを入れてみた。
点いた!!!
もしかして、テレビも映るかも知れないと娘と二人でテレビを起こして外れた配線をつないでみた。その時、震源地がどこかもわからなかった。もしかして心配された東海地震が日本列島をすべて巻き込んだ超巨大地震なのかも・・・(などと最悪の想像をしていた)
画面が出た!
それは予想もしなかった空から撮影された我が家の映像!美しい青海川海岸は崖が崩れて大変なことに!中越沖地震3
信越本線はその土砂に埋められ、その崖の上の我が家も無残な姿をさらしていたのです。
それでも、電気がつながっていることは有難かった。もしかして、インターネットもつながるかもしれない。
でも、以前「光ファイバー」の線は弱いという話を聞いていたので、半信半疑でパソコンの線をつなぎ直して接続してみたら・・・
これも復活!
これで心配している人たちに自分の無事を知らせることができる。早速ブログに投稿!
http://blog.livedoor.jp/shincyaya_bor/archives/51036411.html
投稿時間は震災発生から5時間29分でした。
この「光ファイバー」はまさしく復興への「光」になることになりました。

07年8月9日「酒の新茶屋」がヤフーニュースに登場

そのきっかけは8月9日の読売新聞全国版夕刊の記事。
タイトルは「被災店舗に激励注文 つぶれた缶ビール買わせて」でした。

震災後、全国のお客様から沢山の心配や応援のメールや電話をいただき、その中の新潟市の方の一通のメールに心打たれました。
『・・・凹んだビール缶を買う(そんなことしか考えつかなくて申し訳ありません)・・・なにか協力できることがありましたら声かけてください!』(お客様のメール抜粋)
そのことを取材に訪れた記者にお話したところ、早速その話が全国紙でとりあげらることになったのです。
その時の記者さんは、まだ若くて写真の撮り方もおぼつかない様子で「折角取材させていただいても、掲載されるとは限らないんです。」ということでした。
ところがその日の夜に「明日の全国紙に掲載されることになったので改めて明日カメラマンが写真を撮りに伺います。」という電話。
そして、翌日プロカメラマンが撮影に来ました。その写し方、サスガ!と思わせるテクニック。写される時はどうしても普段のようには行かないものですが、自然に笑顔ができるんです!

そしてその日の夕方「大変だよ、新茶屋さんホームページがつながらないよ」というお客様からの電話からはじまりました。
新聞記事がヤフーニュースに取り上げられて、ネットで全国の人が一気に当店のホームページに殺到した為、つながらなくなっていたのです。
そして、その日夕方から0時までの数時間のアクセス数が新茶屋始まって以来の驚きの数字2万件となったのでした。
http://blog.livedoor.jp/shincyaya_bor/archives/51071453.html